「あの韓国戦が今も忘れられない…がん闘病中の六川亨が語り継ぐ一大決戦」公開

「J論プレミアム」様に「あの韓国戦が今も忘れられない…がん闘病中の六川亨が語り継ぐ一大決戦」が掲載されました。

「やっぱりね、僕にとって忘れられないのは1985年10月26日の1986年メキシコワールドカップ・アジア最終予選第1戦、国立競技場で行われた日本vs韓国なんですよ。先に2点を取られたけれども、木村和司のFKで1点を返した試合です。

その5年前の1980年12月30日、1982年スペインワールドカップ・アジア予選で日本は1次予選のグループ4・グループAでまず中国、マカオと争いました。中国には0-1で負けたもののマカオに3-0で勝ってグループBの朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とグループ4の決勝戦をかけて戦うことになったんです。そのときの監督は川淵三郎さんでした。でも、1980年12月30日、香港で行われた試合で延長戦の後半、115分に決勝点を奪われて0-1で敗れ、結局、最終予選の手前で夢破れたんです。

大学生だった僕は、その試合以前のワールドカップ予選でも負け続けたのを見てきたので、「日本にとってワールドカップは夢のまた夢」と絶望しましたね。そんなとき、兄が知り合いから「『サッカーダイジェスト』がサッカーに詳しい人間を探しているよ」と教えてもらったんです。そこで年明けに会社に行って、全国高校サッカー選手権大会を特集する増刊号の誌面を作るアルバイトを始めました。まさか入社できるとは思ってなかったんですけど、1981年、『サッカーダイジェスト』編集部に入ることができました。

川淵さんは1981年3月8日に国立で行われた第9回日韓定期戦で0-1と敗れたあと身を引き、ドイツに留学していた森孝慈さんが監督に就任しました。森監督は「日本の指導者の切り札」という位置づけでしたね。……