「日本代表の宿舎が学校だった時代があった…前田秀樹が語る日本サッカー苦難の歴史」公開

「J論プレミアム」様に「日本代表の宿舎が学校だった時代があった…前田秀樹が語る日本サッカー苦難の歴史」が掲載されました。

「父は1958年に公開された映画「水戸黄門漫遊記」の格さんを演じた役者なんですよ。住んでいたのは京都の太秦です。周りは東映とか松竹とか大映とか。家はその真ん中にありました。兄は俳優さんの付き人をやったりもしていましたよ。

通っていた太秦小学校はサッカーが強い学校でした。そこでサッカーを始めて、蜂ヶ岡中学校でもサッカー部に入ったんです。ところが1年生はボールを蹴らしてもらえないんですよ。先輩たちがプレーしているグラウンドの周りに立って声を出すだけで。

それが納得できなくてね。「ボールを蹴れないし、試合もできなくてうまくなれるのかな」って。2年生になったら蹴られるようにはなったんですけど、そのとき同級生が国体の選手に選ばれたんです。

その子が朝礼で表彰されたのを見て悔しくてね。「自分もあそこに立ちたい。うまくなりたい」と決心したんですよ。3年生になったらレギュラーになったんですけど、今考えたら、そんなにうまくもなかったかな。……