「僕には今でも愛社精神がある…黒崎久志が語り継ぐJリーグ以前の時代」掲載

「みんなのごはん」様に「僕には今でも愛社精神がある…黒崎久志が語り継ぐJリーグ以前の時代」が掲載されました。

「今の若い人ってJリーグが出来る前のことをもうあまり知らないですよね。僕は1987年に高校を卒業して本田技研に入り、社会人として働きながらサッカーをしてたんです。本田技研に行くことになったのは監督だった宮本征勝さん(故人・1968年メキシコ五輪銅メダル、鹿島アントラーズ監督)に熱心に誘っていただいたからですね。

 

他のチームからもお誘いはいただいてたんです。5チームぐらいかな。後に日本代表監督になる方にお会いしたりとか、日本代表のコーチになる方に話をしてもらってたりとか。大学に行く話もありましたし。

 

その当時の日本サッカーリーグ(JSL)の中で本田技研は新興勢力だったんです。御三家の三菱重工、古河電工、日立製作所に加えて、ヤンマー、読売クラブ、日産自動車が強豪だったんですけど、宮本さんが早稲田大学の監督から本田技研に来て、関塚隆さんとか早稲田出身の人を呼んでチーム作りをしていく中で、次第に力をつけてたんです。……